孤独は寂しいどころか幸せなことなんじゃないか
2019/06/07
孤独、ひとりぼっちは贅沢なことだと思う
唐突ですが、今回は孤独について考えてみたいと思います。
なぜ僕が孤独について話したくなったかというと、世間一般でいう孤独のイメージと、自分が持っているイメージが結構違うなと思ったからです。
僕は孤独やひとりぼっちであることは、楽しくて幸せなことだという感覚を持っています。
こう書くとたいていの人は違和感を感じるのではないでしょうか。
なぜなら、孤独やひとりぼっちでいることは悲しくて寂しいことだと考えられているからです。
ですが、果たして本当にそうなんでしょうか?一体誰がそう決めたのでしょう、不思議です。
一人で孤独なのはなぜマイナスイメージを産むのか
とはいえ、孤独は寂しいという考えは多くの人に受け入れられている訳で、受け入れられるということはそれなりの説得力があるということです。
ではなぜ、一人でいることは寂しい、悲しいといったマイナスイメージを産むのでしょうか。
自分が一人でいるところを想像して考えてみます。
例えば、大学の卒業式。周りの同級生は数人の友達と楽しそうに会場で談笑しながら開会を待っていますが、私はたった一人で椅子に座り、喋り相手もなくだまって待っています。
まさに「寂しい」という言葉がぴったりな場面ですね。恥ずかしいという気持ちも混ざっているかもしれません。
なぜ寂しくて恥ずかしいのでしょうか。
それは他ならぬ私自身が、自分を「寂しくて恥ずかしいやつだ」と思っているからです。
そして、周りの私を見る目もきっとそういう風なんだと確信しているんです。
実際に周りがどう思っているかは関係なく、自分が「孤独は寂しい」と思えばその通りにしか考えられなくなる。
さらに、この場面が特に「ぼっち」的な恥ずかしさを感じさせる理由は、周りに気になる人間がたくさんいる場面だからです。
同じ一人でいるという状況でも、休日にカフェで一人本を読んでいる私はどうでしょうか。
それは寂しくて恥ずかしい場面でしょうか?
おそらく違う感覚を抱くと思います。
むしろ、ゆったりとした優雅な時間が流れ、落ち着きのあるかっこよさすら感じるかもしれません。
なぜ同じ「ひとりぼっち」でもこれほどまでに違った感覚を抱くのか。
やはり、他ならぬ自分が、「休日にカフェで読書をしている自分はイケている」と思っているからです。
自分が自分に対して持っているイメージが、そのままひとりぼっちの自分に対して反映される。それでは、そのイメージは一体どこからやってきたのでしょう。
孤独は寂しくて恥ずかしいと思っている人は、他人に合わせて生きている
卒業式でぼっちなのは恥ずかしくて、カフェでひとり読書はイケている。
その通りに思う人もいれば、そう思わない人もいると思います。
ですがそれは重要なことではありません。
重要なのはそれらのイメージが、周りの目を気にするあまりに焼き付いてしまったものなのではないか、ということです。
周りの人から自分はどんなふうに見られているだろう、どう思われているんだろうと考えた結果、自分が自分に対して抱いているイメージをそのまま他人にも当てはめてしまう。
なぜ自分のイメージを他人に当てはめるのか、それは他人の心を読むことができないからです。
相手が自分をどう思っているのか知りたい、でも分からないから、自分がこう感じるなら相手もきっとそうだろうと考える。
だからこそ、周りに人が大勢いる場面では特に一人でいることが寂しく恥ずかしいことだと思えてくる。
この一連の流れで常につきまとうのは、周りのその他大勢の存在です。
周りの人によく思われたい、寂しい人間だと思われたくない。そう、周りに合わせて生きようとしているのです。
一種の「正解」があるものだと信じ、それ以外の間違った行動をする人ははぐれものになってしまう。
それってなかなかしんどい生き方ですよね。
孤独はつらいことではなく、贅沢なこと
そんな考えとは正反対に、僕は一人でいることはむしろいいイメージを持ってしまいます。
プライベートでも一人でいることが多いですし、むしろ孤独を好んでいると言えるかもしれません。
こういうとかなり偏った人間なのではないかと思われるので弁明させていただきたいのですが、気の知れた友人たちと遊ぶのは好きですし、酒が飲めないのに割と飲みに誘われたりもします。
それでもやっぱり、一人でいる時間が贅沢だなぁと感じます。
それはやっぱり、自分のしたいように、自分のしたいことができる自由な時間だからです。
僕は今までに2回ほどひとりで海外を旅したのですが、それはそれは贅沢な時間でした。
誰のことも気にせず、自分の行きたいところにいき、休みたい時にやすむ。
宿に帰る時間も自由ですし、唐突に予定になかった世界遺産をふらりと訪れてみるのもいい。何をするも自分次第でした。
それからは海外に行くときは絶対一人がいいと、そう思うようになりました。
もともと、周りに人が少ないというのはプラスなことだと知る
いやいや、海外に行くのがどうとかそんなのどうでもいいよ、と思われるかも知れません。
確かに、一人でいるのがつらい人はそんな話を聞いてもなんの薬にもならないでしょう。
では逆に孤独の反対、いつも周りに誰かがいるというのはどうでしょう。
常に話し相手がいて、リアルが充実していて幸せでしょうか。
最初はただただ楽しいかも知れません。
ですが、あるグループにずっと所属していくためには、周りに合わせることが必要不可欠です。
付き合いの悪い、空気の読めない人は少しづつグループの外に追いやられて行きますので、自分を作ってでもなんとか輪の中に入ろうと頑張らないといけないですね。
これって結構しんどいと私は思います。
ちょっと話は変わるのですが、満員電車と座れるほど空いている電車、どちらがいいイメージを抱きますか?
これは当然、空いている電車だと思います。満員電車に好んで乗りたいというマニアックな人はいませんよね。
同じ理由で、土日で混雑しているディズニーランドよりも平日の空いているディズニーランドがいいし、レストランの行列に何時間も並ぶより予約を取ってすんなり入れるほうがいい。
周りに人がたくさんいる状況は貧しい
何が言いたいかというと、周りに人がたくさんいる状況はしんどい、ということです。
ついでに言うと、人が多い場所と言うのは、ある種の貧しさがあるのです。
混雑した状況にお金を払う人はいませんが、人が少なく快適な環境にお金を払う人はたくさんいます。
新幹線では自由席でも同じ時間で目的地につくことができるにもかかわらず、大勢の人が指定席券を買っていますよね。
これも、人が少なく快適な環境にお金を払っているのです。
それなのに、孤独の議論においては、一人でいることは寂しいこと、かわいそうなことになる。
混雑で言う人の多さとと交友関係の人の多さは全く違う!と言われると思いますが、私は根本的には同じことなのではないかと思っています。
人が多くて身動きが取りづらいと言う点において、どちらも同じだからです。
そうなると、孤独でいることは最高に贅沢で自由なことだと言えます。
孤独で、一人であることを嘆いて、ましてや無理してつながりを作る必要はあるのでしょうか。
そんなマイナスに捉えている暇があったら、僕は孤独という贅沢を存分に味わいたいです。
そもそも僕の場合はマイナスに全く思えないので困ったものですが笑